【問題1】
胃の存在は、しばしば意識される。多くの人が、日常的に「胃が痛い」とか「胃が悪い」とか言う。だからといってそれが本当とはかぎらない。
指の先が痛いというのは、はっきりわかる。なぜかというと、脳には指に相当する知覚の領野が、ちゃんとあるからである。逆に、脳のその部分に、なにかが起これば、肝心の指はたとえなんともなくとも、われわれは指が痛いとか、かゆいとか、なにかが触ったとか、そういう判断をする。つまり体の表面に関しては、われわれは脳に地図を持っている。体表とは、外界とわれわれの体を、境する部分だからである。そこはいわば国境のようなもので、脳という司令部は国境で起こったことであれば、それが国境のどの部分で起こったできごとかを、明確に把握しているのである。
ところが内臓に関しては、脳にそういう地図はないらしい。そこは本来、「うまくいっている」はずの部分なのであろう。だから、脳はそこに関して、細かい地図を用意していない。それが用意してあれば、胃の小湾側の噴門から約三分の一の部分が痛いとか、幽門部の始まりの部分が輪状に痛むとか、見てきたようなことが言えるはずなのだが、もちろんそれは不可能である。
(養老孟司『からだを読む』筑摩書房)
【問1】この文章の内容として最も適切なものはどれか。
1.体表に関する痛みと内臓に関する痛みとでは、脳の把握のしかたに違いがある。 |
2.脳が地図を用意したことによって、体の痛みを明確に把握できるようになってきた。 |
3.指の先が痛いとの同じように胃が痛いと判断するためには、訓練が必要である。 |
4. 体表はいわば国境のようなものだから、内臓よりも体表の方を大切にするべきだ。 |
【問題2】
私の通った幼稚園には、幅二十センチほどの帯状の地獄があった。
それは「お弁当室」と呼ばれる部屋の戸口の床の、なぜかそこだけタイルの色が変わっている部分のことで、そこを踏むと地獄に落ちると言われていた。
どんな風に落ちるのかは誰にもわからなかったが、踏んだ瞬間に地面がガバッと裂けて、体ごと底なしの穴に吸い込まれてしまうのではないかというのが、園児たちのあいだでのもっぱらの定説だった。お弁当室には、毎日午に各自お弁当を取りに行かなければならなかったので、そのたびにみんな決死の覚悟で「地獄」を飛び越えた。
(岸本佐知子『ねにもつタイプ』筑摩書房)
【問2】この文章の内容として最も適切なものはどれか。
1.筆者が通った幼稚園には「地獄」と呼ばれる部屋があり、園児たちはそこへ入ることをとても怖がっていた。 |
2.筆者が通った幼稚園には「地獄」と呼ばれる床があり、昼になると園児たちはその床を踏まなければいけなかった。 |
3.筆者が通った幼稚園の先生たちは、園児たちに床の一部を踏ませてはいけないと考えていて、そこを「地獄」と呼んでいた。 |
4.筆者が通った幼稚園の園児たちは、幼稚園の床の一部を「地獄」の入り口だと考えて、そこを絶対踏まないようにしていた。 |
【答え】
【問1】
1.体表に関する痛みと内臓に関する痛みとでは、脳の把握のしかたに違いがある。
【問2】
4.筆者が通った幼稚園の園児たちは、幼稚園の床の一部を「地獄」の入り口だと考えて、そこを絶対踏まないようにしていた。