【練習5】疑問提示文

 【問題1】

 一般に自由はどのようにとらえられているだろう?

 言葉の使われ方を観察すると、たとえば、自由行動、自由時間という場合、決められたスケジュールがない状態を示している。多くの人は「自由」を、「暇」とか「することがない」状態としてイメージしているかもしれない。

 必ずしも、「自由」は素晴らしい意味には使われていない。仕事や勉強に追われていると、ついついゆっくりと休みたくなる。「一日中寝ていたい」というような欲求が、「自由」から連想される個人的な希望である場合が多い。

 はたして、これが本当の自由だろうか?

 もちろん「支配からの解放」であることにはまちがいがない。ただし、多くの人にとっては解放されること自体が、自由の価値になっている。解放されたことで何ができるのか、といった「自由の活用」へは考えが及んでいないように見える。

                                                                    (森博嗣『自由をつくる自在に生きる』集英社)

【問1】この文章で筆者が最も言いたいことは何か。

1.自由は価値あるものと捉えられているが、実は、必ずしも良いものとは限らない。
2.自由というのは、決められたスケジュールから解放された状態のことである。
3.人は自由にあこがれるが、実際に自由になると、何もしたくなくなってしまう。
4.多くの人は自由を解放としか捉えていないが、解放されてどうするかが重要である。

【問題2】

 では、いったい、装飾という側面から見た、人間と動物との決定的な違いは、どういう点にあるのだろうか。

 このことについて、おもしろい意見を述べている人は、名高い『衣装論』を書いたエリック・ギルである。ギルの意見によると、人間と動物との違いは、人間が服を着ている点にあるのではなく、むしろ人間が服を脱ぐことができる点にある、というのだ。

 動物にも、立派な服を着ている種族は多いのだけれども、人間が人間たる所以ゆえん(注1)のものは、自分の意志で、気の向くままに、服を着たり脱いだりすることができる自由、自分の好みに合わなければ、さっさと服を脱ぎ替える自由をもっている点にある。つまり、人間は、自分を満足させるために服を着るのであって、動物には、そういう自由はない、という意味なのである。

 なるほど、そういわれてみれば、その通りにちがいなく、これは当たり前すぎるほど当たり前の話ではないか。ただ、「服を脱ぐ」という点にポイントを置いたところがおもしろく、こういう意見を、パラドックス(逆説)というのであろう。

 着物ばかりではない。人間は室内装飾においても、住宅においても、アクセサリーにおいても、また髪型や化粧においても、自分の好みに合わせて、自由にこれを採用したり捨てたりすることができる。それだからまた楽しいのだ。異性との交友まで装飾だと捉える見方は、その通りだといったら叱られるだろうか。

                                                                       (澁澤龍彦『夢のある部屋』河出書房新社)

(注1)所以:わけ、理由

【問2】この文章で筆者が最も言いたいことは何か。

1.動物の中にも、立派な装飾をもっている種族が数多くいる。
2.人は「服を脱ぐ」ものだというのは、パラドックス的な見方である。
3.人間が動物と違うのは、装飾を自由に取捨選択できることである。
4.異性との交友まで装飾だと捉える見方は、一般的とは言えない。

 

【答え】

【問1】
4.多くの人は自由を解放としか捉えていないが、解放されてどうするかが重要である。

【問2】
3.人間が動物と違うのは、装飾を自由に取捨選択できることである。

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