【問題1】
機会の平等については、二つの原則があります。一つは「全員参加の原則」です。たとえば、人が教育を受けたい、就職したい、昇進したいと希望した時に、望む人は全員参加できる、すなわち候補者となる機会が与えられるべきだという考え方です。もう一つは「非差別の原則」です。たとえば、人が何らかの職に就きたいと考えたとき、そこには選抜があります。この選抜を行う時に差別をしてはならないという考え方です。男性か女性か、若いか年寄りかといった個人の資質によって、差別されることがあってはならないということです。
この二つの原則が満たされていれば、その社会は多くの人に機会の平等性が与えられていると言えるでしょう。しかし現実には、そのような二つの原則が達成されていない場合が少なくありません。
(橋本俊郎『格差社会 何が問題なのか』岩波書店)
【問1】機会の平等性が与えられていない例はどれか。
1.この会社では、営業成績が良ければ、課長に昇進することができる。 |
2.親の所得が低くても、この大学の入学試験を受けることができる。 |
3.入学試験の成績が80点以上なら、この学校に入ることができる。 |
4.日本国籍を持っていれば、この会社の就職試験を受けることができる。 |
【問題2】
人間は、言葉を話す唯一の動物である。人間とは言語的動物であるというのが、私の定義である。人間は、言葉を手に入れた瞬間、嘘をつくことを覚えた。言葉の機能とは、ある意味で、嘘をつくことにあると言ってもいい。実際には存在しない物も、その名を言えば、それは存在するものとして通用することになる。「水をください」と言うために、実際の水は必要ないのである。
小説や物語などは、言葉のこの嘘をつく機能を、自覚的に使用するもので、実際にはありもしない話も、うまく語れば、まるで本当であるかのように人には読まれる。いわゆる「文学的真実」とはこのことで、嘘によってこそ真実は語られるというわけだ。
作家でなくとも、我々が日常普通に話をするということは、自覚的にせよ無自覚的にせよ、絶え間なく嘘をついているということなのである。実際にはそうではないことを、そうであるかのように語ってみたり、本当はそうとは思っていないことを、本当にそう思っているかのように語ってみたり、人が語るとは、まさしくそういうことではないか。「語る」とは「騙る」(注1)に他ならないのである。
(池田晶子『私とは何か さて死んだのは誰なのか』講談社に所収「嘘つきって何?」より部分)
(注1) 騙る:人をだます
【問2】ここでの嘘をつくことの例として適切なものはどれか。
1.犬を見ながらその犬について話すこと |
2.自分が飼いたい犬についてだれかに説明すること |
3.育てている犬に名前をつけて呼ぶこと |
4.物語に出てくる犬の名前をノートに書き写すこと |
【答え】
【問1】
4.日本国籍を持っていれば、この会社の就職試験を受けることができる。
【問2】
2.自分が飼いたい犬についてだれかに説明すること