問題 8
次の (1) から (4) の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4 から一つ選びなさい。
(1)
「嫌い」はネガティブな(注)感情で、まさに嫌悪感をもってしまいがちですが、自分の中に芽生えてきた大切な感情であり、大事な機能でもあります、何より根絶できません。
「嫌い」はとてもパワーを必要とする感情ですから、それだけに反動も大きい。振り回されないための第一歩は、嫌いを認めることです。ネガティブな感情でも、もつことは自然なことであり、生きる上でメリットになる、そして周囲の人にもメリットがあると捉えてみてください。
(注)ネガティブな:否定的な
45 「嫌い」の感情について、筆者の考えに合うのはどれか。
| 1 否定的で強い感情であり、振り回されてもしかたがない。 |
| 2 なくせない感情であり、受け入れたほうがいい。 |
| 3 認めることで、その感情を抑えることができる。 |
| 4 理由を考えれば、振り回されることはない。 |
(2)
安く売るべきか、品質にこだわるべきか。事はそんなに単純ではない。どんなに良い商品であったとし ても、できるだけ価格を抑えるための努力は必要だ。品質にこだわる戦略というのは、品質さえ良ければ どんなに高くても買ってもらえるという短絡的な戦略ではない。
できるだけ価格を抑える努力はしているけれども、それでも品質にこだわるとこれ以上は安くできな い。他社の商品よりも高いのだけれども、それだけの価値はある。だからその差額を許容してほしい。そう訴えることが、品質にこだわった正しい戦略である。
46 品質にこだわる戦略とは、どういうことか。
| 1 品質に見合った価格であると主張する。 |
| 2 品質の良いさと価格の低さを主張する。 |
| 3 価格に合わせた品質であると主張する。 |
| 4 価格よりも、品質の良さを主張する。 |
(3)
時には、自らに「素朴な質問」を投げかけてみてはどうだろうか。子どもが親に尋ねるような「素朴な質問」というものは、意外にも人生や生きることの本質にかかわることであり、人生論や哲学の課題であることが少なくない。そうした質問を真正面から投げかけられたとき、はっと何か気づかされるところがあって、自分の日常を反省するような反応を示さないとしたら、その人の感性は相当に(注)枯れていると考えたほうがよい。
(注)相当に:かなり
47 筆者が言いたいことは何か。
| 1 素朴な質問に向き合って、日常を省みることが必要だ。 |
| 2 親が子どもから人生の本当の意味を教わることもある。 |
| 3 大人になると、子どもが尋ねるような質問をすることは難しい。 |
| 4 感性を磨くには、子どもが投げかけた素朴な質問に答えるとよい。 |
(4)
科学とは、知れば知るほどわからないことが増えてくるものである。自分は何も知らなかったと思い知らされるのが科学者の日常と言える。
つまり、科学者は研究を極めれば極めるほど謙虚になる。自分の無知を知って謙虚にならざるを得ないのだ。その観点から言えば、知ったかぶりをする(注)科学者はもはや研究をストップしており、それまでに得た知識を誇っているに過ぎないと言うことができる。もはや過去の人であり、その知識は時代遅れになっている可能性が高いのだ。
(注)知ったかぶりをする:知っているふりをする
48 筆者の考えに合うのはどれか
| 1 科学者は時代に合った知識を持つべきだ。 |
| 2 科学者は研究を続けることでより謙虚になるものだ。 |
| 3 謙虚であれば、よい科学者として認められるものだ。 |
| 4 どんな科学者であっても、自分の無知を自覚しているものだ。 |
問題 9 次の (1) から (4) の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4 から一つ選びなさい。
(1)
ともすると私たち大人は、自分たちの子ども時代の遊びはよくて、今の子どもの遊びは好ましくないと考えがちです。(中略)
今はダメで昔はよかったというような感覚をもって、今の子どもの遊びについて考えると、とんでもないことになります。子どもたちが嬉々として(注)遊んでいるものを取り上げて、今の時代ではおもしろくないような遊びを、無理に押しつけることになってしまいます。そうなると遊びが遊びでなくなってしまいかねません。
また、私たちが考える好ましい遊び環境となると、なぜかとても整理された空間になりがちです。たとえば画一化された公園を見ると、ムダ一つなく機能を重視したオフィスを連想させさえします。限られたスペースで、しかも安全性や管理の問題を考えればそうなざるをえないのかもしれませんが、それでは子どもが遊びたいと思わなくなるのです。
子どもたちの遊び空間には、もしかしたら不自由さや不便さ、大人がムダだと思えるようなものも必要かもしれません。配慮の行き届きすぎた場所は、遊園地という商業施設は別として、子どもたちが自由に遊べる環境としては好ましくないのではないでしょうか。
子どもたちの遊び環境について考えるときに大切なのは、私たち大人の側にあるそのような先入観です。自分は子どものころにこんな遊びをした。今の子どもはそれをしていない。だから今の子どもは遊んでいない。こんな単純な考え方では、決して子どものためになる遊び環境など考えることはできません。
(注) 嬉々として:喜んで
49 とんでもないことになりますとあるが、どうなるのか。
| 1 子どもが子ども同士で遊べなくなる。 |
| 2 子どもが自由に遊びを楽しめなくなる。 |
| 3 子どもが今の時代の遊びに興味をもたなくなる。 |
| 4 子どもが安全に管理された場所でしか遊べなくなる。 |
50 筆者が言いたいことは何か。
| 1 大人は子どもの遊びに干渉するべきではない。 |
| 2 大人は安全性を考えて、遊び環境を整えなければならない。 |
| 3 大人は先入観をもたずに、子どもの遊び環境を考えるべきだ。 |
| 4 大人の先入観が遊び環境を考えるうえで役に立つこともある。 |
(2)
私たち人間は、いろいろなものを食べる雑食性動物です。それに対し、基本的にパンダはササだけを 食べ、コアラ(注1)はユーカリの葉だけを食べます。動物の生き残り戦略を考えると、雑食性動物の方 が、慣れ親しんだ食べものが入手困難な状況になったとしても、それ以外の食べられるものへと嗜好をシフトすることによって飢餓を脱し、生存する確率を高めることができます。雑食性動物は環境適応 性に優 れた生きものといえます。
しかしその一方で、新たに見つけ出した食べものが毒性をもっていたり、栄養バランスが悪いものであ れば、健康を損ね、最悪死に至る可能性があります。そのため、雑食性動物は、新しい食べものを食べる ときには、必ずそのリスクと対峙(注2)しなければなりません。
すなわち雑食性動物は、食べたことのないものを食べるのを躊躇する「食物新奇 性恐怖」と、積極的 に食べようとする「食物新奇性嗜好」という相矛盾(注3)する行動傾向を、生まれながらに合わせもっ ているといえます。(中略)
雑食性動物がもつ食べものの新奇性恐怖と新奇性嗜好のジレンマを解消してきたもののひとつが、 人の「調理」という行為です。食べたことのない食材、たとえば昆虫をそのままの”原型”で出されると、 拒否感を抱く人が多いですが、粉にしてチップスなど、見慣れたお菓子のかたちで提供されれば、食べ る人は確実に増えます。さらに慣れ親しんだ調味料で味付けしたものなどであれば、「あっ、意外とお いしい」と好評価を得るかもしれません。この調理という操作が、新奇なものを食べるという恐怖を緩和 させるのに一役(注4)買っています。
(注1)コアラ:動物の一種
(注2)対峙する:ここでは、向き合う
(注3)相~:互いに~
(注4)一役買う:ここでは、役立つ
51 筆者によると、雑食性動物の特徴は何か。
| 1 慣れ親しんだものを食べたいという気持ちよりも、新しい食べものへの好奇心の方が強い。 |
| 2 新しい食べものに対して、恐怖心をもちながらも、挑戦する性質をもっている。 |
| 3 いろいろなものを食べるので、栄養バランスが偏らず、生存する確率が高い。 |
| 4 目の前に食べものがあれば、躊躇せずに積極的に食べようとする。 |
52 筆者によると、調理することでどうなるか。
| 1 食材が限られていても、人間の欲求を満たすことができる。 |
| 2 新しい食材への好奇心は薄れるが、恐怖は解消できる。 |
| 3 慣れ親しんでいないものへの好奇心を高めることができる。 |
| 4 食べたことのないものへの抵抗感を減らすことができる。 |
(3)
私は、自分の研究をおもしろいと思えるのと同じ程度に、他人の研究をおもしろいと思えるかどうかが、研究者に向いているか否かの判断の基準であると思っている。いくらいいデータを出す人であっても、他人のデータを自分の仕事と同じだけの熱量を持っておもしろがれなければ、研究者としてははっきり不向きであると思わざるを得ない。学者としては失格であろう。
これがもっとも端的にあらわれるのが、研究発表の際に見られる質問の量である。
(中略)
発表された内容を、当事者として自分ならこういうアイデアで実験をし、結果をこう解釈することもできる、明確な結論を得るためにはこの部分に不備があり、次にはこんな実験を計画すれば、もっとはっきりした結論に到達することができるのではないか、などなど、考え始めれば、おのずから尋ねたいことは次から次へと出てくるはずなのである。
私はこれを「能動的に聞く」と言っている。人の話は、能動的に聞いてこそ、自らの身につくものである。話された内容をただひたすら覚えようとしたり、吸収しようとしているだけでは、却ってその知識は自分のものとならない。
「能動的に聞く」とは、話された内容を、自らのこれまでの知の体系のなかに位置づけることであり、位置づけるためには、聞きつつ常に自分の知の体系を確認し、照合する作業を伴うはずである。外部からインプットされてくる内容と、既存の自らの知識の箱とのあいだに軋轢が生じるのは当然であり、その軋轢こそが質問を促す力になる筈なのだ。
53 筆者によると、研究者として不向きな人はどのような人か。
| 1 他人の研究に、自分の研究ほどの関心を持てない人。 |
| 2 他人よりいいデータを出すことができない人。 |
| 3 自分の研究も他人の研究もおもしろがれない人。 |
| 4 自分の研究に、他人の研究成果を生かせない人。 |
54 筆者によると、どのようにすれば質問の量が増えるか。
| 1 既存の知識に聞いた内容を加えて、知の体系を豊かにする。 |
| 2 聞いた内容と自分の知の体系を照合し、違いを意識する。 |
| 3 新しい知の体系のなかに、既存の自分の知識を組み込む。 |
| 4 自分の既存の知識に、常に疑問を持つ。 |
(4)
企業Aと企業Bがあり、ある契約をそのどちらと取り交わすべきか考えるときに、A社は資本金 1000万円、B社は資本金 1億円であるという情報は、おそらく重要な情報の一つであると想定される が、すべてではない。従業員数、年商(注)、営業継続年数、支社数・支店数、などなどのうちから、意思 決定者が、意思決定の方針に基づいて重要な情報を取捨選択しなければならないだろう。そのとき、こと さらにいくつかの情報に力点を置く報告書があげられたときに、意思決定者(経営者)はそこに存在する 「意図」を十分に嗅ぎ取らなくてはならない。つまり、汚染されている可能性があるということである。ここ で、報告された情報がすべて確実な事実であったとしても汚染は生じている可能性があるという点に注 意が必要である。
したがって、情報汚染とは、ある情報に、本来想定しているもの以外の何かが付随していて、それによっ てその情報の理解が歪むことをいう。その何かとは、その情報をもたらした側の意図である。この世界に 「データのみで構成されていて、そこに意図の混入が認められない」という意味での無色透明な情報な ど存在しない。どのような情報であっても、意図という色で染められている。そして、重要なのはそれが必ず しも汚染ではないという点である。意図が混入するのは当然のことであり、すべての情報には意図が 混入しているのであるから、それだけをもってそれを汚染とまでは呼べない。それが汚染となるのは、その 情報に含まれる「意図」によって、その情報の本質部分である「データ」の理解が歪められるからである。
(注)年商:一年間の売り上げ額
55 「意図」を十分に嗅ぎ取らなくてはならないとあるが、なぜか。
| 1 事実ではない情報が意図的に混入されているかもしれないから。 |
| 2 意思決定者に有利な情報が取り除かれているかもしれないから。 |
| 3 情報には意図が含まれていて、理解が歪められるかもしれないから。 |
| 4 情報をもたらす側の意図が、歪められて理解されるかもしれないから。 |
56 情報の汚染について、筆者はどのように述べているか。
| 1 情報が汚染されているかどうかを見抜くことは難しい。 |
| 2 情報が汚染されていても、受け取る側の理解に影響はない。 |
| 3 情報に意図が含まれていても、汚染されているとは限らない。 |
| 4 すべての情報には意図が含まれているので、汚染されているといえる。 |
問題10 次の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4 から一つ選びなさい。
以下は、森林を守るボランティア活動をしている人が書いた文章である。
世界的に森林や自然の維持、復元に対する関心が高まってきたとき、この気運(注1)を支えた初期の理論は、人間中心主義的な森林・自然維持論、つまり人間の生存や未来にとって森林や自然の維持は不可欠であるという理論であった。いわばそれは、人間のための森林・自然維持論であった。ところが、この考え方は、たちまち暗礁に乗り上げる(注2)。
第一に、人間のための森林・自然維持論であるかぎり、人間のための森林・自然の開発論を否定できなくなる。なぜなら、どちらも「人間のための」という共通の基盤の上にたっている以上、その違いは価値観の違いにすぎず、人間の価値観を統一することなどできないばかりでなく、すべきでもないからである。
第二に、「人間のための」といっても、その内容はさまざまである。農山村に暮らす人びとと都市の市民とでは、その感じ方は同じではないし、たとえば同じ山村に暮らす者でも、林業経営をしている者とそうでない者とでは、考え方が異なってくる。人と森の関係は多様である以上、どうすることが人間のための森林・自然の維持なのかと問われれば、その答えはさまざまである。
第三に、「人間のための」という発想にたつかぎり、「人間のためにならない」自然は破壊してもよいということになりかねない。
こうした問題点があったために、「人間のための」論は、つまり人間中心的な森林・自然維持論は、たちまち破綻してしまった。自然保護思想の流れをみるなら、それに代わって生まれた理論は、自然中心主義的な考え方であった。それは、人間のためになろうとも、ならなかったとしても、自然はそれ自体のうちに生存権をもっており、その生存権は保障されなければならないというものであった。
ところが、この考え方にも問題点があった。なぜならこの理論では、原生林や原生的な自然を維持する理論としては有効でも、たとえば日本のような、長い歴史のなかで自然と人間とが相互に影響を与えながら、それぞれが暮らしてきた地域の森林・自然の問題をよく説明できないからである。
一例をあげれば、かつて農山村の人びとは、自分たちの暮らしを守るために、人家の近くに里山天然林をつくりだした。それは、徹底的に人間の手を加えた天然林である。(中略)
森林ボランティアとは、自発的に森の中で仕事をする人びとである。そうである以上、私たちは、人間中心主義的な立場にたつことも、自然中心主義的な立場にたつこともできない。
とすれば、どうすればよいのだろうか。この問いに対して、私たちは、森林・自然と人間との関係を持続的に維持していくことこそが重要だと考える。単純に人間の未来を守ることでも、森を守ることでもない。森林と人間との関係を維持することによって、森と人とが相互的な依存関係をもっている日本の森と人の営みを守っていくことである。
(注1)気運:ここでは、意識の高まり
(注2)暗礁に乗り上げる:ここでは、進められなくなる
57 「人間のための論」の問題点として、筆者の考えに合うのはどれか。
| 1 人間のための森林・自然の維持に、結びついていないこと。 |
| 2 人がいなければ、森林・自然は維持できないと考えていること。 |
| 3 農山村に暮らす人間の考え方が優先されすぎていること。 |
| 4 森林・自然の維持に対する考え方は、立場によって異なること。 |
58 筆者によると、日本に関して、自然中心主義的な考え方が問題なのはなぜか。
| 1 人間の介入によって、維持されてきた森林・自然もあるから。 |
| 2 人間が手を加えずに、原生林や原生的な自然を維持するのは難しいから。 |
| 3 自然の維持よりも人間の暮らしを守ることが優先されているから。 |
| 4 自然の生存権を保障することについて、人間の理解が得られないから。 |
59 筆者によると、森林ボランティアの役割とは何か。
| 1 人間を中心として、森林・自然との関係を維持していくこと。 |
| 2 人間の営みを制限して、森林・自然との新たな関係を見付け出すこと。 |
| 3 森林・自然と人間が共存できる関係を維持していくこと。 |
| 4 森林・自然が持続できるように、できるだけ自然に任せること。 |
問題11 次のAとBの意見文を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4 から一つ選びなさい。
A
勉強やスポーツなど何かに取り組んでいる時にスランプはつきもの(注)だ。いつもどおりしているのに、全く成果が上がらない。そんな時間が続くと、自分には能力が足りないのではないか、これ以上は上達しないのではないかと自信を失ってしまう。
しかし、スランプとは一時的に調子が悪くなっている状態にすぎない。誰にでも調子の良い時と悪い時があり、それは波のようにやってくる。悪い時にはそれを乗り越えようともがくのではなく、波に身を任せるようにするといい。現状をすなおに受け止め、これまでと同じことをやり続けるのだ。そうして自然に波を乗り越えれば、またやる気も自信も戻ってくる。そうすれば、自然に次にやるべきことも見えてくるものだ。
B
スランプの状態になると、調子が良かった過去と比べてしまいます。だから、その差にショックを受けてしまって、自信を無くしてしまうわけですね。調子の波があることは普通なので、良い時と比べるのは止めましょう。
それよりも、今に集中することの方が大切です。今の自分を受け入れて、「これからどうするべきか」ということを考えてください。こういう考え方ができれば、前向きに物事を捉えることができるはずです。
いつまでも過去に捉われている人は、後悔や焦りといった感情しか出てきません。しかし、今を見ている人だと、「どうすればいいか」という生産的な考え方ができるわけですね。
(注)つきもの:当然あるもの
60 スランプの時に落ち込んでしまう原因について、AとBはどのように述べているか。
| 1 AもBも成果が上がらない原因を考えすぎてしまうからだと述べている。 |
| 2 AもBも、過去の状態と比較して、焦ってしまうからだと述べている。 |
| 3 Aは何が悪いのかが分からないからだと述べ、Bは調子が良い人と比較してしまうからだと述べている。 |
| 4 Aは能力の限界だと思ってしまうからだと述べ、Bは良かった時と比較してしまうからだと述べている。 |
61 AとBは、スランプの時はどのようにするのがいいと述べているか。
| 1 AもBも、現状を維持しながら、調子が良くなるのを待てばいいと述べている。 |
| 2 AもBも成果を上げるための方法を考えたほうがいいと述べている。 |
| 3 Aはやる気や自信を取り戻すまで待ったほうがいいと述べ、Bは今の状態を受け入れて、自然に任せていればいいと述べている。 |
| 4 Aは特別なことは何もしなくてもいいと述べ、Bは現状を認めて、今後どうするべきかを考えたほうがいいと述べている。 |
問題12 次の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4 から一つ選びなさい。
以下は、十代の若者に向けて書かれた文章である。
だれでも、自分が自分であることを望み、個性的であろうと願っている。そしてその一方で、自分が他の実体と違った、自分であることを恐れている。
本当は、「個性的」であろうと思って、個性的になれるものでもない。それはたいてい、「個性的」といわれる一つの型に、自分をあてはめていることだったりする。人間にとっては、「個性的であれ」などと言われても、どうしてよいかわからないものであって、「個性的」とよばれる型を持ったほうが楽なのだ。しかしそれは、本当に個性的なわけではない。
それでも、青年期に向けて、個性的であろうと試みることは、よいことだ。かりにそれが、一つの型にすぎなくても、あるいは、個性的であろうとして挫折し、個「生的」であることから逃避することも含めて、自分にとって個性とは、考えるのはよいことだ。それは、自分が自分であることの、あかしでもある。
そこでは、ときに悩むことがあったり、どうしたら個性的な人間になれるかと、模索することもあるかもしれない。それはじつは、「個性的」であること以上に、自分というものを意識していく、一つの過程である。そうした意味では、「個性的」であるかどうか、本当はたいしたことではなくて、自分というものが確立していくことが、大事なこととも言える。
そしてじつは、個性というものは、人間のひとりひとりに備わったもので、その個性がありのままに出ていることが、本当の意味で個性的である。むしろ、本当の自分が出せないから、没個性的に。もなるのだ。
もちろん、人間はまわりの社会を気にするものであって、自分をよそおうことも含めてしか、社会のなかで存在できない。無理につっぱって、自分のよそおいを捨てようとしても、捨てきれるものではない。そうした、社会とのかかわりも含めて、自分というものはある。
たいていの場合、つっぱったり、いじけたりしていては、自分の個性は発揮できない。つっぱるまいとするのが一種のつっぱりだったり、いじけまいとしてそのことにいじけたり、なんてことまで問題にしだすと、ちょと言葉の遊びみたいになるが、ま、そうしたことまで含めて、気楽に自分であるようにしなくては、本当の意味で個性的にはなれないものだ。
そして、ありのままの自分を出すことへの不安が、「個性的」を一つの型にしたり、あるいはそうした型から逃れる道へ向かわせたりもする。
それでも結局、自分とはありのままの自分しかない。それを自覚したとき、きみは個性的なきみになる。
62 よいことだ(※下線部)とあるが、なぜか。
| 1 個性的である必要はないと気づくから。 |
| 2 挫折したり悩んだりする経験が個性を作るから。 |
| 3 自分という人間を意識することになるから。 |
| 4 自分にあてはまる個性の型を見付けられるから。 |
63 個性について、筆者はどのように考えているか。
| 1 自分から社会とかかわることで、意識できるものだ。 |
| 2 他人と比較しなければ、自然に発揮できるものだ。 |
| 3 なりたい自分を意識すれば、自然に身につくものだ。 |
| 4 求めて得るものではなく、初めから持っているものだ。 |
64 筆者が最も言いたいことは何か。
| 1 自分の個性を模索すべきだ。 |
| 2 自分自身でいることが大事だ。 |
| 3 ありのままの自分を出せなくてもいい。 |
| 4 型に縛られない生き方をしたほうがいい。 |
問題13 右のページは、ある大学の研究活動助成の案内である。下の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4 から一つ選びなさい。
65 次の4人は、星川大学の大学院に在学中で、以下の研究活動を行いたいと思っている。「グローバル研究活動助成」に応募できるのは誰か。
| 名前 | 研究活動 | 渡航期間 | この助成の採択歴 |
| 西田さん | 海外のシンポジウムで講演を聞く | 2022年8月24日から3日間 | なし |
| ダリアさん | 海外に渡航し、資料の収集や調査を行う | 2023年1月18日から3日間 | なし |
| ラワンさん | 海外で研究発表を行う | 2023年2月20日から5日間 | 2020年度にあり |
| 山本さん | 海外に渡航し、調査を行う | 2022年8月20日から12日間 | 2021年度にあり |
| 1 西田さん。 |
| 2 ダリアさん。 |
| 3 ラワンさん。 |
| 4 山本さん。 |
66 応募に関して、留意しなければならないことは何か。
| 1 指導教員から研究推進課窓口に提出してもらわなければならない書類がある。 |
| 2 研究活動が発表か調査かによって、提出しなければならない書類の種類が異なる。 |
| 3 記入用紙は、5月10日までに研究推進課窓口に取りに行かなければならない。 |
| 4 研究発表の場合、発表を行うことが確定していないと応募ができない。 |
星川大学
2022 年度「グローバル研究活動助成」募集要項
1. 応募資格(以下の条件を満たす者)
2022 年度に星川大学の大学院に在学していて、2021 年度に本助成に採択されていない者
2. 対象となる研究活動(以下の①または②に当てまる活動)
① 渡航期間 10 日間以上で、海外において調査を行う。
② 海外での研究会議、シンポジウム等で研究発表を行う(渡航期間は問わない)。
3. 対象となる研究活動の実施期間
①②ともに 2022 年 8 月 1 日から 2023 年 3 月 31 日までに行うもの
4. 助成金額等
一人あたりの助成金額の上限は 20 万円とします。応募は一人 1 件のみ可能です。助成対象の費目の詳細は別紙を参照してください。
5. 選考
書類による選考
6. スケジュール
募集期間:2022 年 5 月 10 日(火)~6 月 10 日(金)
結果通知:2022 年 7 月中旬
7. 応募手続き
以下の A~C を研究推進課窓口へまとめて提出してください。
B 推薦書(様式 2)
・・・指導教員が作成したものを学生本人が提出すること。作成依頼は余裕をもってするようにしてください。
C 発表申し込みの写し(②の場合のみ)
・・・申し込みの開始が募集期間後になる場合は、準備ができ次第提出すること。
●A と B の記入用紙は 4 月 26 日から募集期間の最終日まで研究推進課窓口で配布します。研究推進課のウェブページからダウンロードもできます。
●②で発表が確定していない場合でも応募することができます。その旨を A に記入のうえ、必ず募集期間内に A と B を提出してください。また、実際に発表するかどうかが決まり次第、速やかに連絡してください。
8. 採択後の注意事項
報告書と経費の領収書を帰国後 2 週間以内に提出してもらいます。未提出の書類があった場合は採択を取り消す可能性があります。
問い合わせ先:研究推進課 https:// www.hoshikawa-u.ac.jp/research.html
電話:061-625-9398 Eメール:graduate-research@hoshikawa.ac.jp
