【問題1】
一般に自由はどのように捉えられているだろう?
言葉の使われ方を観察すると、たとえば、自由行動、自由時間という場合、決められたスケジュールがない状態を示している。多くの人は「自由」を、「暇」とか「することがない」状態としてイメージしているかもしれない。
必ずしも、「自由」は素晴らしい意味には使われていない。仕事や勉強に追われていると、ついついゆっくりと休みたくなる。「一日中寝ていたい」というような欲求が、「自由」から連想される個人的な希望である場合が多い。
はたして、これが本当の自由だろうか?
もちろん「支配からの解放」であることにはまちがいがない。ただし、多くの人にとっては解放されること自体が、自由の価値になっている。解放されたことで何ができるのか、といった「自由の活用」へは考えが及んでいないように見える。
(森博嗣『自由をつくる自在に生きる』集英社)
【問1】この文章で筆者が最も言いたいことは何か。
1.自由は価値あるものと捉えられているが、実は、必ずしも良いものとは限らない。 |
2.自由というのは、決められたスケジュールから解放された状態のことである。 |
3.人は自由にあこがれるが、実際に自由になると、何もしたくなくなってしまう。 |
4.多くの人は自由を解放としか捉えていないが、解放されてどうするかが重要である。 |
【問題2】
では、いったい、装飾という側面から見た、人間と動物との決定的な違いは、どういう点にあるのだろうか。
このことについて、おもしろい意見を述べている人は、名高い『衣装論』を書いたエリック・ギルである。ギルの意見によると、人間と動物との違いは、人間が服を着ている点にあるのではなく、むしろ人間が服を脱ぐことができる点にある、というのだ。
動物にも、立派な服を着ている種族は多いのだけれども、人間が人間たる所以(注1)のものは、自分の意志で、気の向くままに、服を着たり脱いだりすることができる自由、自分の好みに合わなければ、さっさと服を脱ぎ替える自由をもっている点にある。つまり、人間は、自分を満足させるために服を着るのであって、動物には、そういう自由はない、という意味なのである。
なるほど、そういわれてみれば、その通りにちがいなく、これは当たり前すぎるほど当たり前の話ではないか。ただ、「服を脱ぐ」という点にポイントを置いたところがおもしろく、こういう意見を、パラドックス(逆説)というのであろう。
着物ばかりではない。人間は室内装飾においても、住宅においても、アクセサリーにおいても、また髪型や化粧においても、自分の好みに合わせて、自由にこれを採用したり捨てたりすることができる。それだからまた楽しいのだ。異性との交友まで装飾だと捉える見方は、その通りだといったら叱られるだろうか。
(澁澤龍彦『夢のある部屋』河出書房新社)
(注1)所以:わけ、理由
【問2】この文章で筆者が最も言いたいことは何か。
1.動物の中にも、立派な装飾をもっている種族が数多くいる。 |
2.人は「服を脱ぐ」ものだというのは、パラドックス的な見方である。 |
3.人間が動物と違うのは、装飾を自由に取捨選択できることである。 |
4.異性との交友まで装飾だと捉える見方は、一般的とは言えない。 |
【答え】
【問1】
4.多くの人は自由を解放としか捉えていないが、解放されてどうするかが重要である。
【問2】
3.人間が動物と違うのは、装飾を自由に取捨選択できることである。